子供の児童手当と、どう付き合ってるか?について
麻耶です✨
今日は、ちょっと真面目な話題を。笑
子供の児童手当をどうしてるか?について、
我が家のお話を書こうと思います。
我が家は、児童手当バンバン使ってます。
使い道は、「今」娘が喜ぶことのため。
なので、何に使ってる?というより、今の娘に使ってるって感じ。
なぜ、今、使うのか?
まず、国民の皆さんがそれぞれ納税されて回ってくるお金。それは使わないと、また、回っていかないからです。
個人でそれを溜めておくってすごい違和感を感じたんですね。
児童手当の定義についてWikipediaにはこう書いてあります▶️
児童のいる家庭の生活を安定させ出産と子育てを奨励し、また児童自身の健全な成長を促す目的で支給される。
この健全な成長ってのは、私の中で「お金を正しく認識する」って価値観です。
お金を正しく認識してみました。そこでたどり着いた答えは「お金は今生きてる」でした。
わたしはずっとずっと
「お金がない」「お金どうしたら来てくれる?」って呪文のように唱えてきました(笑)
でも、まずそこから間違ってて。
お金が来てくれるためにあれやこれや!する前に、ちゃんと自分が「在り方」を確率させることの方が何百倍も大切と気づいたんですね。
在り方を確立させたら、最強で「お金」とかわかりやすいパワーに頼らなくなるからね✨
自分のやりたいこと、自分の望むこと、自分の好きな物、自分の考え
わたしはそこが若い時に流されてきちゃったからちょっと苦労した。
彼女には小さい時から自分で選ぶって力を付けてもらいたい☝️
令和時代は特にそう。
だから、親のわたしは子供のためにお金を「溜めて」それを「渡す」ことはあまりしたくない。
もちろんね、「感謝」は大切です。
お年玉、お小遣い、お金をもらったら、「ありがとう」は大切。
けどね、
これは(お金)あってもなくてもわたしは生きていける!って人になって欲しい。
例えばスペースってありますよね。空間。
そこに何も入ってなかったらどう埋めるも自由やし自分の力で埋めれる。
けど、そこにいっぱいいっぱいぎゅうぎゅう詰めになってたらあとは残ってるスペースにちょっと詰めたりするしかできないしスペースの埋め方がわからず、大人になる。
つまり、親がお金をくれる!って考えになると頭を使わなくなっちゃうかなって。
よくある表現ですが、魚ではなく魚の釣り方を教えてあげたい🤚
世間の当たり前は
「教育費」
「結婚資金」
を、貯めるのが当たり前かもしれないね。
でも、
なぜ、それらを貯めたいのか?
それが子供の役にたつのか?
って考えたことがある人はどれくらいいる?
わたしはそこを考えすぎて、
「毎月これくらいを子供のために貯めなきゃ」
って追い込まれて病んでたの。
その通りにならんくて。
でも、母親の言葉で目覚めた。
「お母さんを思い出してみ?ある時にあるだけ使ってきたし離婚もしたしあんたに結婚資金も渡せてないしなかなかボロボロやで(笑)でも、今、幸せゆうてるやん」
そうや、、わたし、めっちゃ幸せやわ。
お父さんは借金残して死んだしお母さんもお金稼ぐのあんま得意じゃないけど
わたしも弟もめっちゃ健康でめっちゃ楽しく生きてる。
なんでやろ?と考えたら、お母さんは愛情をかけてくれたし、なにより、
わたしを信じてくれていた
それだけで、自由に失敗できて、自分で選ぶって生き方ができたなと。
ここで親がお金あるわって考えで育ってたら、そこに頼りきってなにも知らないまま大人になってたかなって思ったんです。
お金ってなに?って真剣に学ぼう!と思えてなかったかもね。
娘がのびのび
「今」生きれるために。
「今」娘が楽しめるおもちゃに。
「今」娘が楽しめる遊び場に。
「今」娘が楽しめる保育園に。
「今」を存分に感じれることにかけてあげる。
わたしは娘がお金のことがわかる歳になったら
西野亮廣さんの本を読ませると決めてます。
親から伝える、お金の勉強はそれだけで十分✨✨✨
世の中の親は「子供のために」と願わない人、いないと思います。
それぞれの家庭の考えがあり子供のためにいろいろされてますね。
わたしはこの「子供のために」をちゃんと深く考えることも必要だと感じてます。
子供のために…が実は親のために…になってないか?
親の考えを押し付けてないか?
子供が知ろうとする機会を奪ってないか?
そこをマジで常に問いかけています。
親が1番やっちゃいけないのが、自分の価値観や自分の人生に被せてしまうことと思ってるからです。
そこは責任もって育てていきたいと考えてます☝️😄
児童手当、ありがたい制度です。